神の愛の海で泳ぐ

サント ラジンダー シン ジ マハラジ

海を泳いでいる間は海に囲まれているのと同じように、私たちの生活の毎秒毎秒は、神の愛の海に囲まれています。しかし、海の中で泳いでいるのにもかかわらず、水を探している魚のように、私たちは無力にも神を探しそうとします。

私たちが愛に囲まれているとき、神の愛を受け入れることができないのはなぜでしょうか?それは私たちの心が神に向いていないからです。

サント ラジンダー シン 瞑想聖人やスピリチュアルマスターたちは、私たちの周りを取り巻き、私たちの内にある神の愛の宝庫を開く手段として、瞑想のテクニックを提供しています。ここで、神の愛を開くことの障害の一つを詳しく見てみましょう。

一日を通して自分自身を観察してみると、私たちは、しばしば、過去や未来に生きていることに気がつくでしょう。いつも、過去に何が起こったのかを考えたり、将来に何が起こるかを計画したり心配したりします。

過去と未来を考えることの解決策は、現在、今この瞬間にとどまる事です。私たちは、一秒一秒、現在の瞬間にいることができる機会を持っています。でも、代わりに、過去や未来の考えでそれを埋めてしまうと、今のこの瞬間は無駄になり、永遠に消えてしまいます。今のこの瞬間を取り戻すことはできません。

もし今この瞬間にとどまることができれば、過去と未来への考えは止まるでしょう。私たちは、その瞬間の中で、内なる神の愛とつながりを持つことができる、静かな中心にいることができます。今この現在の瞬間に、神に没頭することができます。

私たちの注意を引くための2つのスイッチがあります。1つは魂に調律するスイッチであり、もう1つはマインドに調律するスイッチです。マインドが送ってくる思考への解決策は、どの思いが神と魂のもので、どの思いがマインドのものかを分けることができるということです。

瞑想中や一日を通して、マインドに注意をそらされている時は警戒することを学ぶ必要があります。マインドは、瞑想するよりも大切なことがあると私たちを注意散漫にして、外の世界に心を向ける活動をさせたり、過去に住まわせたり、将来を予測させたりします。

それに対して、魂からの思いは、私たちを神に導くものです。この思いは、私たちに瞑想することを思い出させ、倫理的な生活を送り、人々に無私に奉仕し、神とすべての創造物を愛することを思い出させます。

さらに、瞑想し、神の愛を経験するとき、常に私たちに注いでいる神の愛を受け入れるために、私たちは静かな心と完全な受容性を持って、身をまかせた状態に座る必要があります。このように、私たちは神の海を苦労して見つけようとするのではなく、そのかわりに、神の愛の海に完全に浸るという至福の中で、意識は満たされるでしょう。

私たちの仕事は、過去と未来のマインドの思考を静止して、人生の道に来るものは何でも愛情をもって受け入れて抱きしめることです。私たちの仕事は、私たちにやって来るどんな経験でも、その中心に集中することです。より没頭していくにつれて、ますます内側に引き込まれ、時間を経ると、私たちが常に泳いでいる偉大なる愛の海を体験するでしょう。

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著者サント ラジンダー シン ジ マハラジについて

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